世界一夢見る男です!

今晩は、superdreamer, 世界一の夢見る男です。

皆さん方に、様々な夢をお見せできたらいいなと思い、一念発起してHatena Blogのお仲間に入らせてもらいました。生まれも育ちも、九州の北端、佐賀県唐津市です。小学校は名護屋小学校と七山村立池原小学校の二校に通い、多感な時期を過ごし、名護屋中学校では、野球部にわずか1週間在籍、ようやく外野フライをなんとか捕球できるようになった頃、退部し、村一番の可愛い子のいる卓球部に転部。卒業まで史上最弱の男子卓球部長を務めました。高校では、勉強よりも小説を書くのに熱中し、【垢で汚れた物語】を校内誌に発表。自分のルーツを辿るうちに、倭寇や、松浦党元寇等にぶち当たり、あまりのスケールの大きさに絶句。歴史小説を書くのも能わず、ただ50年もの間、原稿用紙を前に悶えて過ごしました。上京し、私立大学に入学したのですが、1969年からは学生運動が燃え盛り、ストライキのため、授業はひと月ほどで中止となり、ノンポリだった私は、朝から晩までパチンコと麻雀に明け暮れ、夜中に作家気どりで小説を書き、妄想に耽り、これといった勉強はしませんでした。恥ずかしい限りです。8年間も在籍して、同人誌に発表した短編は、3篇だけ。結局、作家にはなれず、彼女にも振られ、夢ははかなく消えてしまいました。人生ってこんなもんです。私は世を儚み、何度も断崖から唐津の真っ青な海に飛び込んで死のうと思いました。そんな時、ふと見上げると、大空を鷲や鷹が悠然と舞っているではありませんか。なんだか自分があまりにも小さく惨めに思え、自殺を諦め、ごく普通のサラリーマンになろうと決断。68歳になる今日まで、真面目さと英語力だけを頼りに生きてきました。その間、罹った病気は数知れず、心臓、肝臓、肺臓など、五臓六腑だけを除いて殆どすべて病魔に襲われました。命をなくす寸前で蘇生すること7回。7転び8起き。そして70歳近くまで何とか生き永らえると、人生はそんなに捨てたもんじゃないと、身に染みてわかります。酸いも甘いも噛み分けて生きる。すべては風の前の塵に同じ。千年ほど前に先人が既に悟っていました。折角生きていくのなら、面白おかしく笑って時を過ごしましょう。どんな辛いことでも、いつかは風に吹かれて消えてしまうのですから。夢と希望だけは心の奥深くに、そっとしまっておきましょう。

夢は、実現できる時が必ずやってくるのです。