私のふるさとは、日本の発祥を担った唐津です。

①日本で大陸にも最も近い松浦半島を擁する佐賀県唐津市であります。【魏志倭人伝】に記載されているあの有名な【「末盧国」(まつらこく)】そのものなんです。その唐津から東南に50キロほど陸行すると、度肝を抜くような悠然たる楼閣をいくつも有する【吉野ヶ里遺跡】にぶち当たります。その吉野ケ里から有明海に出て、不知火海を船で渡り、熊本に上陸し、さらに阿蘇山を越え、「宮崎平野」にたどり着く。その宮崎平野が本当の邪馬台国だという新説が登場しています。当時の宮崎平野は、縄文時代から開け、二期作も出来るため、人口10万人を抱える、当時としては、渡来人も驚嘆する大都市であったようです。理由は①広大な沃野と大河があり、気候は温暖、目の前は黒潮が流れ、数多くの種類の魚は無尽蔵。米、野菜、果物はいくらでもとれる。②さらに大陸から文明が伝わり、鉄製品も製造していた。これに馬が加わると天下無敵の軍事力を有する大国となる。③天孫降臨の神話の通り、数万人もの大軍を統括する、神がかり的な能力・パワーを持つ王が登場。やがて新天地を求めて近畿圏まで攻め上がり、勝利する。如何です?大陸から東シナ海を渡り、私の故郷、唐津経由で宮崎平野に幾多の優秀な渡来人と文明が流れ込んできて、邪馬台国を形成したのです。私はこの推理に感動しました。

邪馬台国は、宮崎平野にあったのです!!我が祖国、

唐津は、その橋頭保でした・・・。